
大規模改修工事前の横浜美術館正面
1989年(平成元年)11月、横浜・みなとみらい地区に横浜美術館が開館しました。広島平和記念資料館や国立代々木競技場など歴史的な建造物を数多く手掛けた建築家の丹下健三氏(1913~2005年)が設計しました。
南北に長い建物は、展示フロアがある3階建ての低層階中央に、半円形の8階建てタワーを配した特徴的なフォルムで、正面に向かって右端(北側)にアトリエを、左端(南側)に美術図書室を置いた別棟を左右対称に配置しています。
1989年3月から10月にかけて開催された「横浜博覧会89」は、みなとみらい地区の埋め立て造成がほぼ完了した段階で行われた大規模イベントでした。会場は三菱重工業の造船ドック跡地を引き継ぎ、横浜湾に向かって整備された区域でした。その中でもJR桜木町駅に近い場所に建設された横浜美術館は、博覧会開幕前に建物が完成しており、会期中はパビリオンとして利用されました。そして、博覧会終了後の1989年11月に横浜美術館として正式に開館しています。

建物中央の吹き抜け、グランド・ギャラリー(改修前)
中央の正面ドアから入ると、そこは建物の天井まで吹き抜けになったグランド・ギャラリーです。ドア近くにチケット売り場があり、エスカレーターで3階の展示フロアへ上る形です(2021~2024年のリニューアル前は右側エスカレーターが上り、改修後は左側が上りとなっていました)。展示ルームは左右にそれぞれ3室ずつあり、3階中央部でつながって反対側へ移動することができます。2つの展覧会を同時開催する場合は、左右のエリアを分けて、中央でチケット確認を行うこともありました。
半円形の8階タワーは、開館当初は展望台としてエレベーターで自由に昇ることができ、売店もありましたが、その後閉鎖され、現在は美術館事務所として使われています。

改修前最後の展示会「トライアローグ」
博覧会終了後のみなとみらい地区では、道路やインフラが整備され、1991年にパシフィコ横浜(横浜国際平和会議場)の一部が開館し、同時にヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテルが開業。1993年には横浜ランドマークタワーが完成しました。博覧会会場内のアミューズメントエリア「コスモワールド子供共和国」にあった大観覧車「コスモクロック21」は全高107.5メートルで、博覧会当時は世界一の大きさでした(現在、世界一大きい観覧車は2021年に開業したアラブ首長国連邦のドバイにあるアイン・ドバイ <Ain Dubai、ドバイの目> で、高さは250メートルです)。そのコスモクロック21は、ランドマークタワーの近くに再配置された後、対岸の「よこはまコスモワールド」へ移設されました。みなとみらい地区の風景は少しずつ変わってきました。
その中で、みなとみらい地区で最古参の建物の一つである横浜美術館は、開館から30年以上が経った 2021年3月に、大規模改修工事のため全館休館に入りました。
休館前最後の展覧会は「トライアローグ」展。横浜美術館、愛知県美術館、富山県美術館の3館が所蔵する20世紀西洋美術作品を持ち寄り、巡回する企画で、横浜美術館が最初の会場となり、2020年11月から2021年2月まで開催されました。その後、愛知県美術館(2021年4月~6月)、富山県美術館(2021年11月~2022年1月)へと巡回しました。

リニューアル後の横浜美術館正面。右後ろのビルが完成していました
横浜地区で3年ごとに開催される美術イベント「横浜トリエンナーレ」は、リニューアルオープン後最初の展覧会となりました。
第8回横浜トリエンナーレのアーティスティック・ディレクターは、北京を拠点に活動するリウ・ディン(劉鼎)とキャロル・インホワ・ルー(盧迎華)で、二人は中国の作家・魯迅(1881~1936年)の詩集『野草』(1927年刊)に着想を得て、新型コロナウイルス禍以降に顕在化した戦争、気候変動、経済格差や不寛容といった問題の中で、人々がどのように生き抜くかをテーマにしました。絶望の中でこそ創造性が発揮され、世界を変える可能性を探る試みでした。

リニューアル後のグランド・ギャラリー。リニューアル前に故障していた可動式ルーバーが直って、明るくなったということです。
「野草:いま、ここで生きてる」と題されたこの展覧会では、グランド・ギャラリーのエントランス近くに吊るされた サンドラ・ムジンガ の《そして、私の体はあなたのすべてを抱きかかえた》(2024年)が展覧会を象徴する作品として、来場者を迎えました。
横浜トリエンナーレ終了後、美術館は外部倉庫に保管していた 約1万4000点の所蔵作品を搬入するため再び休館し、2025年2月に全館オープンしました。
(2020年12月、2024年3月取材/2025年8月更新)